ユーザーインターフェイスとシステム雑記だらだら

Windows 8(仮称)が発表され、MSDNサブスクライバダウンロードからプレビュー版をダウンロードできるようだ。

#今ダウンロード中。
#Akamaiのダウンローダも少しはまともになって、キューに入れたダウンロードタスクの殆どは
#同時並行でダウンロードするようになったようだ

Windows 8でMetroインターフェイスが導入されるのだが、心配している点がある。

Windows 2.1 (!) で「プログラムマネージャ」と「ファイルマネージャ」が導入された。
この時に「なんてダサいインターフェイスだ」と思った。
DOS世代のアプリケーションランチャーとファイラーをそのまま実装しただけだった。
Finderの足元にも及ばなかった。正直、「これが未来か!」という気は全くしなかったものだ。

なんという名前だったか忘れたが、Finderもどきのユーティリティがあったりしたが
結局純正ではなかったので、広まることもなかった(詰めも甘かった)。

DOS5で導入された「DOSシェル」も、結局は薄皮かぶったドブネズミ状態だったわけで、
もっと根本からリソースを共有するための、優れた手段を提供しなけれなならないのにと思っていた。
UNIXはその点では優れていたが、現代のUNIXクローンもまたそこから脱することは出来なかった。

#未だにshとcshの延長でしかないし。
#その世界で完結する作業をしている分にはすばらしいが、
#多様化するユーザーインターフェイスを一元的に扱う機能は提供されていない。
#シェルの強みはパイプラインとジョブコントロールだと思っているので、
#それを超える操作は、独自ライブラリ・独自APIの世界にならざるを得ず、
#突然相互運用性と応用性を失う。

私がどうもAndroidにもiOSにも萌えないのは、あのメニューがプログラムマネージャに「クリソツ」だからかもしれない。
(見た目はきれいだけど)

Windows 95で「エクスプローラ」が導入された。
ファイルセントリックで、コンテキストメニューで操作を提示できる点は進んだと思う。
しかし、「デスクトップ」と「マイドキュメント」の概念がダメダメだ。
ツリーでディスクとフォルダ構成を見せている以上、内部の構造がそのまま素直に見えるようにすべきだったと思う。

あれがひっくり返っている(デスクトップがすべての起点にある)のが諸悪の原因だ。
技術者ではないユーザーは、あれのためにコンピューターの中のイメージが持てなくなってしまった。

「ここのデスクトップは、実はこのフォルダの中のここが見えているんですよ」
「???」

何回こういう説明をしただろうか…
未だに、マイドキュメントの位置をDドライブに移動するという説明を理解してもらえないことが多い。
(メーカー製のPCはせっかくパーティションがわけてあっても殆ど無意味なのだ)

ユーザーの学習曲線について考える責任者がいなかったのだろうか、或いは分かっていてやっているのか。
デジタルディバイドという言葉があまりはやらなくなったが、「デジタル音痴」はいまだ多数を占める。
こういう層の人ほど、コンピューターの応用方法を早く習得できる必要があるのだ。
そのためには、ただでさえ分かりにくい「コンピューター」を、更に理解不能にする要素は排除する必要がある。

UNIXのシェルは多少ロジカルな思考が必要だが、一度理解すれば応用力はどんどん伸びていく。
Windows環境ではこういう経験はほとんどない。環境どころかAPIも一貫性が無いおかげで苦労する。
そしてGUIの世界が一般的になった時、UNIXクローンも同じような問題を抱えるようになった。
(向こうはもっと激しいよね。コミュニティがどんどんAPIを変更していくから、ついていく気が無いと難しいし、
基本的にデベロッパ向けだから一般人は知る事すらかなわない)

Windows Phone 7.5のMetroインターフェイスには少し期待している。

「一から作った」ということは、過去のWindowsの文化を全て捨てて考えることが出来たと言う事だ。
iOSのおかげ(?)で、本来ならMS Labs内で終わるようなプロジェクトにゴーサインが出たわけだ。

Peopleハブは正に、「Peopleセントリック」ということだろう。
新しいデバイスであるからこそ、既存のデバイスを打ち破る「文化」が無いと魅力を感じられない。
進化が無いなら、今までの環境で十分。新しいデバイスに投資するなら、それだけの価値がないとね。
(価値は個人によるので、他人はどう感じるかは別の問題。見た目カッコいい!で選ぶのもアリだろう)

Windows Phoneという小さいデバイスであまり夢を見ることもできないが、いっそ「メタセントリック」を扱えるように出来れば、
OSの応用性に未来が見い出せるのではないかと思う。
Windowsのメインプロダクトが目指してほしいところはここだ。
だが、Windowsのメインプロダクトは過去を捨てることが出来ない宿命にある。
Metroインターフェイスを導入すると言っても、それはつまりは「新しいプログラムマネージャ」ではないかという気がする。

ラップインターフェイスの成功例として、.NET Frameworkは良くできていると思う。
周りからの色々な圧力(?)に屈せず、よくあそこまでの完成度にたどり着いた。
しかし、当初検討されていた、Windows自体を.NET Frameworkで再構築するという大胆な案は、もう実現しそうにない。
それが本当に良い事かどうかも分からないが、マイクロソフトがその案をフェードアウトしたということは、
夢は見れたかもしれないが、やはりそれだけでは「商売」にならないということだろう。
それはつまり、まだしばらくはWin32とWDMからは逃れられないと言う事だ。
そうなると、新しい機能はすべからく「ラップインターフェイス」となる。

Windows 8のMetroが、「羊の皮をかぶったドブネズミ」でなければいいのだが。

#インターフェイスが「切り替わる」という点で、もうすでにアレ感が漂っている…

Windows 8はともかく、Windows Phone 7.5で「儲ける」のはまだ先かな。
でも、今のうちにかじっておくと幸せになれるかもしれない。アイデアがあれば!

#シェルと言えば、PowerShellを必要に迫られて多少弄ったが、どうしても「できそこない」感がぬぐえない…
#パイプラインが、テキストストリームから卒業した点は評価している。
#.NET Frameworkがもっと早く完成していて、同時にPowerShellがリリースされ、
#標準のシェルがPSになっていれば、もうちょっと印象がちがっていたかもしれない。
#でも、シェルコマンドのライブラリ作成がスマートじゃない。なんか異端な感じがするんだよな。
#よく頑張ったとは思うけどね。
#そういう印象は、Exchangeのコマンドレットを見ると特に強く感じる。
#PS使います・コマンドレットです、って言うだけで、応用性無いじゃん。
#あんな大量のコマンドレット、専門職じゃないし使えないって。バッチファイルと何が違うのさ?w